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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)173号 判決

アメリカ合衆国

オハイオ州リンドハースト、リッチモンドロード1900

原告

ティーアールダブリュインコーポレーテッド

代表者副社長

スコット エム バーンズ

訴訟代理人弁理士

浅村皓

小池恒明

岩本行夫

岩井秀生

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官 高島章

指定代理人

築山敏昭

塩崎明

井上元廣

土屋良弘

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を30日と定める。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成2年審判第15368号事件について、平成4年4月2日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文1、2項と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、1982年8月5日に米国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和58年8月5日、名称を「ステアリング装置」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(昭和58年特許願142659号)が、平成2年4月27日拒絶査定を受けたので、同年8月27日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を同年審判第15368号事件として審理したうえ、平成4年4月2日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年5月11日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

ステアリング・ホイールの回転によって操縦可能な車輪を回動させるステアリング装置であって、

前記操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材と、

該部材上に配置されたラックの歯の列と、

該部材上に配置された外側の回旋状のねじ部分と、

前記部材の回りを囲んでいる回転可能なナット装置であって、前記部材に対して前記ナット装置が回転すると前記回旋状のねじ部分に力が適用されて前記部材を軸線方向に移動させるようになった、前記ナット装置とを有し、

前記ナット装置は、内側の回旋状のねじ部分と、この内側の回旋状のねじ部分及び前記外側の回旋状のねじ部分に係合して配置された複数のボール要素とを含んでおり、

更に、

前記部材に対して前記ナット装置を回転させる電気モータ装置と、

前記電気モータ装置が故障した場合に前記部材を軸線方向に移動させるために前記ラックの歯に力を適用してステアリング・ホイールが回転している間前記ナット装置を回転させるようになった前記ラックの歯と噛み合い係合していて且つステアリング・ホイールと共に回転可能であるピニオン装置とを有していることを特徴とするステアリング装置。(平成2年9月26日付け手続補正書による補正後の特許請求の範囲第1項記載のとおり。)

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、本願の優先権主張日前に国内において頒布された刊行物である特開昭55-44013号公報(以下「引用例1」といい、これに記載された発明を「引用例発明1」という。)及び特開昭55-47963号公報(以下「引用例2」といい、これに記載された発明を「引用例発明2」という。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであって、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない、と判断した。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨、引用例1、同2の記載事項の各認定並びに本願発明と引用例発明1との一致点及び相違点の認定、相違点〈1〉の判断は認める。相違点〈2〉についての判断は争う。

審決は、相違点〈2〉の判断において、引用例発明2の技術内容を誤認し(取消事由1)、容易推考性の判断を誤ったものである(取消事由2)から、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(引用例発明2の技術内容の誤認)

審決は、引用例発明2のリンク5、5′及びボールネジ26が、その機能、構造からみて、本願発明における「部材」及び「外側の回旋状のねじ部分」に相当するとしているが、以下に述べるとおり、引用例発明2においては、本願発明における「軸線方向に可動である部材」に相当するものはなく、したがって、引用例発明2におけるボールねじ装置26は本願発明で規定するような「部材の回りを囲んで」配置されているものではないから、審決の認定は誤りである。

(1)  本願発明でいう「部材」とは、単に「操縦可能な車輪を回動させるために可動であるリンク」であるだけでは足りず、以下のA~Cの三つの構成を備えていなければならないものである。

A 「操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材」

B 「該部材上に配置されたラックの歯の列」

C 「該部材上に配置された外側の回旋状のねじ部分」

そして、Aの「軸線方向に可動である部材」とは、本願明細書で「操縦力伝達部材15」(甲第2号証・明細書10頁15行等)として説明されている部材であり、かかる部材の上に、Bの「ラックの歯の列22」とCの「外側の回旋状のねじ部分20」とが設けられているのである。

(2)  これに対し、引用例発明2においては、本願発明における上記三つの構成を備えた「部材」は存在しない。

引用例2(甲第6号証)で明らかなように、そのボールネジ26は中間アーム22とフレーム9を結ぶ伸縮可能なリンク(図番なし)上に設けられている(第3図)が、この伸縮可能なリンクは本願発明で規定する「部材」に相当するものではない。なぜなら、このリンクは、上記Aの「軸線方向に可動である」という要件を充足しないし、Bの「ラックの歯の列」も備えていないからである。

また、中間アーム22からキングピン6、6′の間にあるリンク5、5′は、上記A~Cのいずれの構成も備えておらず、リンク21も、上記B、Cの構成を備えるものではないから、いずれも本願発明の「部材」に相当するものではない。

したがって、引用例発明2におけるリンク5、5′が本願発明の「部材」に相当するとした審決の認定は誤りである。

(3)  本願発明において最も本質的な構成であるところの「ナット装置」は、「前記部材の回りを囲んで」同心に配置されている回転可能なナット装置であるところ、上記のとおり、引用例発明2には本願発明の「部材」の相当するものがないから、ボールねじ装置26が「部材の回りを囲んで」同心に配置されているものとはいえない。

したがって、引用例発明2に「前記部材の回りを囲んでいる回転可能なナット装置」が示されているとした審決の認定もまた誤りである。

2  取消事由2(容易推考性の判断の誤り)

審決は、「引用例1及び引用例2に記載されたものはともに、モータの駆動力を動力伝達機構を介してステアリング装置に補助の操舵力を与えるものであるので、引用例1に記載されたものにおけるいわゆるラックピニオン装置を用いた動力伝達機構に代えて、上記引用例2に示されるいわゆるボールねじ装置を用いた動力伝達機構にすることは、当業者であれば容易に想到することができたものである。また、いわゆるボールねじ装置を用いたことにより、顕著に卓越した効果を奏するとも認められない。」(審決書10頁16行~11頁6行)と判断したが、以下に述べるとおり、誤りである。

(1)  引用例発明1のような電動パワーステアリング装置においては、ピニオン44を回転軸28を介して駆動モータ25で直接駆動している従来技術は存在せず、すべてクラッチと減速機を介して駆動しているのである。ピニオンをモーターで直接駆動すると、ピニオンの強度の制約から、その有効径には限界があるため、ピニオン1回転あたりの移動距離が非常に大きくなり、ボールねじ装置の場合に比し、モータのトルクが数倍も必要になるので、ピニオン駆動の場合は、必ずクラッチと減速機を使用してモーターサイズを小型化すると同時に慣性を下げて駆動しているのである。

また、引用例発明2は、ラックピニオン型ではなく、インテグラル式のパワーステアリング装置であるが、これも、その特許請求の範囲において、「モータを遠心クラッチ及び減速機を介して操向機構に連結」することが必須の構成として規定されている。

このように、引用例発明1も同2も、減速機及びクラッチを必須の要件とするものである。

これに対し、本願発明におけるナット装置は、「内側の回旋状のねじ部分及び(部材の)外側の回旋状のねじ部分に係合して配置された複数のボール要素」を含んでおり、この「ボール要素」に減速機構の代替的機能を果たさせることにより減速機を必要としなくなったものである。なお、クラッチについても、これを必須の構成としないものである。

したがって、引用例発明1と同2を組み合わせてみても、「減速機」を必要としない本願発明の構成は実現することができない。

(2)  本願発明は、前記ナット装置を、軸線方向に可動である前記「部材」の回りを囲んで同心に配置することにより、「部材」に働く力を軸線方向に向くようにして、その軸線方向以外に分力を発生させないようにしたものであり、その結果、分力による機械損失をなくすとともに、操舵機構の摩擦抵抗や慣性抵抗を低く押さえ、ハンドルのリターナビリティ(復帰の度合)の向上を図るという顕著な効果が得られるのである。

これに対し、引用例発明1のようなピニオン駆動の場合、ラックを移動させる力は、ラックの歯に加わるので、歯の圧力角、捩れ角によって分力を生じ、しかも、着力点がラックの中心軸からはずれているため、ラックの支持点には、分力と着力点のオフセットによる反力が生じ、その反力は摩擦力として、リターナビリティを損ない、ハンドルのフィーリングを悪くする結果を招くものである。

また、引用例発明2については、前記のとおり、そもそも本願発明でいう「部材」に相当するものが存在せず、仮に、リンク5、5′が「部材」に相当するとしても、引用例発明2においては、リンク21を軸線方向に動かすために、モータ8、遠心クラッチ23、減速機(ピニオン24、ギヤー25)、伸縮可能なリンク、ボールネジ26等がリンク21との角度を変えながら、かつ、車体であるフレーム9に揺動自在に設けるという複雑な構造を採用しており、このような複雑な構造では、そのボールねじ装置の採用によってもリターナビリティ向上の効果は得られない。

(3)  以上のとおり、引用例発明1に引用例発明2のボールねじ装置を適用してみても、本願発明の構成は実現できず、リターナビリティの向上という顕著な効果は得られない。さらに、本願発明の構成をとることにより、スペース、コスト及び信頼性の面でも有利であり、車両組立時における工程を簡略化できるという利点も認められるのであるから、審決の容易推考性の判断は誤りである。

第4  被告の反論の要点

本願発明が引用例1及び同2に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の判断に誤りはなく、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1について

原告は、本願発明における「部材」は、原告主張の前記A~Cの三つの構成を備えていなければならないのに、引用例発明2のリンク5、5′は、これらの構成を備えていない旨主張する。

しかしながら、審決は、引用例発明2のリンク5、5′が、中間アーム22を起点としてそこからキングピン6、6′までのリンク5、5′の他に、中間アーム22から伸び、外側にボールネジ26が設けられる部材をも含むものと理解したうえ、リンク5、5′は、「操縦可能な車輪を回動させる」という機能において本願発明の「部材」に相当するとしたのであって、機能以外の構成及び効果においても本願発明の「部材」に相当するとしているのではない。

審決の趣旨は、本願発明は、引用例発明1のラックピニオン装置に代えて、引用例発明2のボールねじ装置を用いることにより得られるものであり、このようにすることは、引用例発明2のボールねじ装置が引用例発明1のラックピニオン装置と同様に、「操縦可能な車輪を回動させる部材」に補助操舵力を与えるものである以上、当業者が容易に想到できる、というものである。

引用例発明2のボールねじ装置が、引用例発明1のラックピニオン装置と同様に、「操縦可能な車輪を回動させる部材」に補助操舵力を与えるものといえるためには、ボールねじ装置が設けられている引用例発明2のリンク5、5′が、ラックピニオン装置の設けられている引用例発明1の部材に、「操縦可能な車輪を回動させる」という機能において相当すればよいのであって、右機能以外の構成及び効果においても本願発明の「部材」に相当する必要はない。

また、原告は、審決が「ナット装置」についても認定を誤った旨主張するが、引用例発明2のボールネジ26は、上記のとおり、本願発明における「操縦可能な車輪を回動させる部材」に相当するリンク5、5′上に設けられているから、ボールねじ装置がリンク5、5′の回りを囲んで設けられているのであり、審決の認定に誤りはない。

2  取消事由2について

(1)  本願発明の要旨には、「電気モータ装置」と「ナット装置」との動力伝達について、「前記部材に対して前記ナット装置を回転させる電気モータ装置」とのみ記載されており、減速機及びクラッチについては何も記載がないから、本願発明は、減速機及びクラッチの有無をその要旨としていない。引用例発明1に引用例発明2のボールねじ装置を適用した場合に、減速機及びクラッチを設けるか否かは、単なる設計事項にすぎない。

したがって、引用例発明1のラックピニオン装置に代えて、引用例発明2のボールねじ装置を用いることにより、本願発明の構成が得られるのである。

(2)  本願発明の構成によりリターナビリティが向上するとしても、軸線方向以外の分力が発生せずオフセットが生じないという作用効果は、ボールねじ装置が本来有する作用効果であり、引用例発明1のものにボールねじ装置を用いれば、リターナビリティは当然に向上するのであって、このことは、当業者が当然予測できることである。

本願発明のスペース、コスト及び信頼性の面での効果は、引用例発明1又は同2に記載された効果、あるいは当然に予測できる効果である。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  審決取消事由1(引用例発明2の技術内容の誤認)について

(1)  本願発明と引用例発明1とが、審決認定のとおり、相違点〈1〉、〈2〉を除くその余の構成において一致することは当事者間に争いがなく、相違点〈1〉についての審決の認定判断は原告の争わないところである。

そして、審決認定の相違点〈2〉、すなわち、「部材を軸線方向に移動させる移動装置が、第1発明(注、本願発明)は、部材上に配置された外側の回旋状のねじ部分と、部材の回りを囲んでいる回転可能なナットの内側の回旋状のねじ部分と、両ねじ部分に係合して配置されたボール要素とからなる、いわゆるボールねじ装置によって構成されているのに対し、引用例1に記載されたものは、部材と一体のラックと、ラックに噛み合うピニオン(44)とからなる、いわゆるラックピニオン装置によって構成されている点」(審決書8頁14行~9頁3行)で相違していることも当事者間に争いがない。

上記事実と当事者間に争いのない本願発明の要旨と引用例発明1の構成によれば、本願発明と引用例発明1の実質的な相違は、本願発明でいう「部材」の移動装置、すなわち「操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材」上に配置されている移動装置が、本願発明においてはボールねじ装置であるのに対し、引用例発明1においてはラックピニオン装置であるという点にあることが明らかである。

(2)  このように、本願発明と引用例発明1との間には、上記部材の移動装置において相違するが、本願明細書(甲第2~第4号証)及び引用例1(甲第5号証)の記載によれば、これらボールねじ装置もラックピニオン装置も、ともに、ステアリング装置に補助の操舵力を与える装置であって、モータの回転力を上記部材に直線力として伝達し、この力により、車輪を回動させるために上記部材を軸線方向に移動させるためのものである点で、同じ目的のために配置されていることが認められる。

一方、ボールねじ装置もラックピニオン装置も、ともに、回転力を直線力に変換する装置として周知のものであることは、当裁判所に顕著な事実であり、本願発明において採用されたボールねじ装置が通常のボールねじ装置であって、特別のものでないことは、本願発明の要旨に示されたボールねじ装置の構成から明らかであるし、本願明細書に、「ボール・ナツトとその動作の詳細については、米国特許第3,512,426号を参照されたい。この特許は、本発明に採用されているものに類似したボール・ナットとネジのアツセンブリを開示しているとともに、ボールがどのようにこのアツセンブリの中に収容されているかを詳しく説明している。これらの詳細事項については公知のものであるので、この明細書の中で改ためて詳しく説明することは省略する。」(甲第2号証・明細書18頁12~20行)と記載されていることからも明らかである。

そして、当事者間に争いのない審決認定の引用例発明2の構成によると、引用例発明2におけるステアリング装置に補助の操舵力を与える装置には、前輪を回動させるためのリンク5、5′にモータの回転力を直線力として伝達するために、ボールねじ装置が用いられていることが明らかである。すなわち、引用例発明2のボールねじ装置と引用例発明1のラックピニオン装置は、審決認定のとおり、「ともに、モータの駆動力を動力伝達機構を介してステアリング装置に補助の操舵力を与えるものである」(審決書10頁17~19行)と認められる。

そうとすれば、引用例発明1の「操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材」上に配置されているラックピニオン装置に代えて、このラックピニオン装置と同じ目的のために引用例発明2において用いられているボールねじ装置を採用し、本願発明の構成とすることは、当業者にとって容易に想到できることといわなければならない。

(3)  原告は、引用例発明2においては、本願発明における「軸線方向に可動である部材」に相当するものはなく、したがって、引用例発明2におけるボールねじ装置は本願発明で規定するような「部材の回りを囲んで」配置されているものではないと主張し、審決の認定判断を論難する。

しかし、前示のとおり、引用例発明1には、本願発明における「軸線方向に可動である部材」に相当する部材の回りを囲んで、ラックピニオン装置が配置されているのであり、審決は、この事実を前提として、同部材の回りを囲んで配置されているラックピニオン装置に代えて、このラックピニオン装置と同じくモータの駆動力を動力伝達機構を介してステアリング装置に補助の操舵力を与えるために用いられている引用例発明2のボールねじ装置を用いることは、当業者であれば容易に想到できると判断しているのであり、引用例発明2におけるボールねじ装置が本願発明で規定するような「部材の回りを囲んで」配置されているものではないことは、この判断を誤りとする理由とはなりえないことは明らかである。

原告の取消事由1の主張は理由がない。

2  取消事由2(容易推考性の判断の誤り)について

(1)  原告は、減速機及びクラッチを必須の要件とする引用例発明1と同2を組み合わせてみても、減速機を必要としない本願発明を実現することはできないと主張する。

しかし、本願発明の要旨には、モータの駆動力の伝達に関しては、「前記部材に対して前記ナット装置を回転させる電気モータ装置」と記載されているのみであり、ボールねじ装置を構成するナット装置と電気モータとの間に、モータの回転を減速させる減速機あるいはモータの動力をナット装置に伝達もしくは遮断するクラッチを介することを特に排除していない。クラッチを介することが本願発明の実施態様にすぎないことは、本願明細書に「本発明の別の実施態様によれば、モータ回転子と移動可能な操縦力伝達部材の間にクラツチが設けられている」(甲第2号証明細書9頁12~14行」と記載されていることからも明らかであり、このことからすれば、モータの回転を減速させる減速機を介することも、本願発明の実施態様の一つというべきことは明らかである。

したがって、上記原告の主張は、実施態様に基づく主張にすぎず、本願発明の要旨に基づく主張ではないから、採用することができない。

(2)  次に、原告主張のリターナビリティ(復元性)の向上について、本願明細書の発明の詳細な説明には、以下の記載がある。

「モーター14は操縦力伝達部材15のねじ部分20と同軸的に取り付けられている。・・・モーター回転子73はボール・ナツト75を取り囲んでいる。・・・モーター回転子73が回転すると、ボール・ナツト75も回転する。多数のボール78(第4図参照)がボール・ナツト75と操縦力伝達部材15のねじ部分20と協働するようになつているので、ボール・ナツト75が回転すると、操縦力伝達部材15は軸方向に駆動される。」(甲第2号証・明細書16頁18行~18頁3行)

この記載によれば、モーター14が働くとボール・ナット75が回転し、ボール78から部材15に直接的に力が伝わり、しかも、この力が部材15にその軸方向からずれることなく与えられること、したがって、軸方向以外の分力が生じることが少ないので、動力伝達の効率が高いものであることが認められる。

このことは、本願明細書の、「ステアリング・ホイールが開放された時にステアリング装置を中立位置に移動させるように操縦可能な車輪が作用する」(甲第3号証4頁16~18行)との記載からもうかがわれる。

しかし、ボールねじ装置の特徴が摩擦が小さく、動力伝達の効率が高いものであることは、ボールねじ装置の構成に由来する効果として周知の事柄であることは、当裁判所に顕著な事実であるから、本願発明について原告が主張する軸方向の分力を発生させないでリターナビリティの向上の向上を図るという作用効果は、ボールねじ装置が本来有する作用効果を利用して、これを「操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材」上に配置したことから当然に生ずる効果であり、当業者が予測できる範囲を超えるものではないというべきである。

(3)  さらに、原告は、本願発明の構成をとることにより、スペース、コスト及び信頼性の面でも有利であり、車両組立時における工程を簡略化できるという利点も認められる旨主張するが、本願明細書を検討しても、引用例発明1のラックピニオン装置に代えて引用例発明2のボールねじ装置を用いたにすぎない本願発明の構成から当然に予測される以上に格別の効果を奏することを認めるに足りる記載はないから、原告の主張は採用できない。

3  以上のとおり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 芝田俊文)

平成2年審判第15368号

審決

アメリカ合衆国 オハイオ州 クリーブランド、ユークリッド アベニュー 23555

請求人 テイーアールダブリュ インコーポレーテッド

東京都千代田区大手町2-2-1 新大手町ビル331~340

代理人弁理士 浅村皓

東京都千代田区大手町2-2-1 新大手町ビル331~340

代理人弁理士 浅村肇

昭和58年特許願第142659号「ステアリング装置」拒絶査定に対する審判事件(昭和59年3月24日出願公開、特開昭59-50864)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

(Ⅰ)本願は、昭和58年8月5日(優先権主張1982年8月5日、米国)の出願であって、その発明の要旨は、平成2年2月19日付および平成2年9月26日付の手続補正書により補正された明細書、および出願当初の図面の記載からみて、特許請求の範囲第1項及び第4項に記載されたとおりの「ステアリング装置」にあるものと認められるところ、その第1項に記載された発明(以下、第1発明という)は次のとおりである。

「ステアリング・ホイールの回転によって操縦可能な車輪を回動させるステアリング装置であって、

前記操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材と、

該部材上に配置されたラックの歯の列と、

該部材上に配置された外側の回旋状のねじ部分と、

前記部材の回りを囲んでいる回転可能なナット装置であって、前記部材に対して前記ナット装置が回転すると前記回旋状のねじ部分に力が適用されて前記部材を軸線方向に移動させるようになった、前記ナット装置とを有し、

前記ナット装置は、内側の回旋状のねじ部分と、この内側の回旋状のねじ部分及び前記外側の回旋状のねじ部分に係合して配置された複数のボール要素とを含んでおり、

更に、

前記部材に対して前記ナット装置を回転させる電気モータ装置と、

前記電気モータ装置が故障した場合に前記部材を軸線方向に移動させるために前記ラックの歯に力を適用してステアリング・ホイールが回転している間前記ナット装置を回転させるようになった前記ラックの歯と噛み合い係合していて且つステアリング・ホイールと共に回転可能であるピニオン装置とを有していることを特徴とするステアリング装置。」

(Ⅱ)これに対して、原査定の拒絶の理由に引用された、本願の出願前に国内において頒布された刊行物の特開昭55-44013号公報(以下、引用例1という)には、特に、その第4図の実施例から明らかなように「ハンドル(1)の回転によって操縦可能な車輪を回動させるステアリング装置であって、

前記操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材(特に、名称、符号は付与されていない)と、

該部材上に配置されたラック(43)の歯の列と、

前記ラック(43)の歯と噛み合うピニオン(44)であって、前記ラック(43)に対して前記ピニオン(44)が回転すると前記ラック(43)に力が適用されて前記ラック(43)を軸線方向に移動させるようになった、前記ピニオン(44)とを有し、

更に、

前記部材に対して前記ピニオン(44)を回転させるモータ(25)と、

前記モータ(25)が故障した場合に前記部材を軸線方向に移動させるために前記ラックの歯に力を適用してハンドル(1)が回転している間前記ピニオン(44)を回転させるようになった前記ラックの歯と噛み合い係合していて且つハンドル(1)と共に回転可能であるピニオン(40)とを有しているステアリング装置。」が、記載されている。なお、引用例1にはモータが故障した場合については明記されていないが、ラック(43)の歯には、ハンドル(4)とともに回転可能なピニオン(40)が噛み合い、かつ、モータ(25)によって回転されるピニオン(44)も噛み合っているので、ピニオン(40)は、「モータ(25)が故障した場合に部材を軸線方向に移動させるためにラックに歯を適用してハンドル(1)が回転している間ピニオン(44)を回転させる」という作用を奏することは明かである。したがって、引用例1に記載の技術内容を前記のように認定した。

また、同じく引用された特開昭55-47963号公報(以下、引用例2という)には、「ハンドル(1)の回転によって操縦可能な前輪(7)、(7')を回動させるステアリング装置であって、

前記操縦可能な前輪(7)、(7')を回動させるために可動であるリンク(5)、(5')と、

該リンク(5)、(5')に連結されたボールネジ(26)と、

前記ボールネジ(26)の回りを囲んでいる回転可能なナットであって、前記ボールネジ(26)に対して前記ナットが回転すると前記ボールネジ(26)に力が適用されて前記リンク(5)、(5')を移動させるようになった、前記ナットとを有し、

前記ナットは、内側の回旋状のねじ部分と、この内側の回旋状のねじ部分及び前記ボールネジ(26)に係合して配置された複数のボール要素とを含んでおり、

更に、

前記ボールネジ(26)に対して前記ナットを回転させる電気モータ(8)とを有しているステアリング装置。」が、記載されている。なお、引用例2にはナットと係合するネジがボールネジであるとのみ記載されており、ボール要素については明記されていないが、ネジがボールネジである以上ナットとボールネジの間にボール要素が介在されていることは自明のことである。したがって、引用例2の技術内容を前記のように認定した。

(Ⅲ)第1発明と引用例1に記載されたものとを対比すると、引用例1に記載されたものにおける「ハンドル(1)」、「ピニオン(40)」はその機能及び構造からみて、それぞれ第1発明の「ステアリング・ホイール」、「ピニオン装置」に相当するので、以下、第1発明の部材名で読み代えると、両者は、「ステアリング・ホイールの回転によって操縦可能な車輪を回動させるステアリング装置であって、

前記操縦可能な車輪を回動させるために軸線方向に可動である部材と、

該部材上に配置されたラックの歯の列と、

前記部材を軸線方向に移動させる移動装置とを有し、

更に、

移動装置を駆動するモータと、

前記モータが故障した場合に前記部材を軸線方向に移動させるために前記ラックの歯に力を適用してステアリング・ホイールが回転している間前記移動装置を回転させるようになった前記ラックの歯と噛み合い係合していて且つステアリング・ホイールと共に回転可能であるピニオン装置とを有しているステアリング装置。」である点で一致しており、〈1〉移動装置の駆動を、第1発明は、電気モータ装置によって行っているのに対し、引用例1に記載されたものは、単にモータとのみ記載されている点、〈2〉部材を軸線方向に移動させる移動装置が、第1発明は、部材上に配置された外側の回旋状のねじ部分と、部材の回りを囲んでいる回転可能なナットの内側の回旋状のねじ部分と、両ねじ部分に係合して配置されたボール要素とからなる、いわゆるボールねじ装置によって構成されているのに対し、引用例1に記載されたものは、部材と一体のラックと、ラックに噛み合うピニオン(44)とからなる、いわゆるラックピニオン装置によって構成されている点で相違しているものと認める。

(Ⅳ)そこで、これら相違点〈1〉、〈2〉について検討する。

〈1〉 について

駆動用のモータとして、電気モータを用いることは従来周知であり、電気モータに限定した点は単なる構成の限定にすぎない。

〈2〉 について

引用例2における「ハンドル」、「前輪(7)、(7')」、「リンク(5)、(5')」、「ボールネジ(26)」は、その機能、構造からみて、第1発明における「ステアリング・ホイール」、「車輪」、「部材」、「外側の回旋状のねじ部分」に相当するので、結局引用例2には、

「ステアリング・ホイールの回転によって操縦可能な車輪を回動させるステアリング装置であって、

前記操縦可能な車輪を回動させるために可動である部材と、

該部材上に配置された外側の回旋状のねじ部分と、

前記部材の回りを囲んでいる回転可能なナット装置であって、前記部材に対して前記ナット装置が回転すると前記回旋状のねじ部分に力が適用されて前記部材を移動させるようになった、前記ナット装置とを有し、

前記ナット装置は、内側の回旋状のねじ部分と、この内側の回旋状のねじ部分及び前記外側の回旋状のねじ部分に係合して配置された複数のボール要素とを含んだステアリング装置。」が、すなわち、「車輪を回動させる部材を移動させるために、いわゆるボールねじ装置を用いる」ことが示されている。そして、引用例1及び引用例2に記載されたものはともに、モータの駆動力を動力伝達機構を介してステアリング装置に補助の操舵力を与えるものであるので、引用例1に記載されたものにおけるいわゆるラックピニオン装置を用いた動力伝達機構に代えて、上記引用例2に示されるいわゆるボールねじ装置を用いた動力伝達機構にすることは、当業者であれば容易に想到することができたものである。また、いわゆるボールねじ装置を用いたことにより、顕著に卓越した効果を奏するものとも認められない。

(Ⅴ)以上のとおりであるから、第1発明は引用例1および引用例2にそれぞれ記載されたものに基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであって、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成4年4月2日

審判長 特許庁審判官(略)

特許庁審判官(略)

特許庁審判官(略)

請求人 被請求人 のため出訴期間として90日を附加する。

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